スーザン・ケイン「内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える」

f:id:accs2014:20171008145938j:plain:right:w210

 社会で活躍する人間というのはとにかく活発で社交的なものであるという固定観念がありますが、現実の身の回りの人間を思い返すと案外そうでもなかったりします。割と社会的な露出の多い(派手な)業界の管理職などでも人前ではほとんど話さない方がいたりして、結局はどこもいろいろなタイプの人間がいて成り立っているんだろうなあと思わされるものです。



 
 本書は弁護士経験を経てライターに転身し、企業などで交渉術の指導にもあたっているスーザン・ケイン氏の第一作です。タイトルだけを見ると「これからは内向型人間の時代だ、外向型人間に支配されてきた世の中をひっくり返すんだ」といったふうに見えなくもありませんが、そんな過激な内容ではありません。やはり社会は外向型と内向型の人間のバランスで成り立っているという認識のもとで、いかにして外向型人間にスポットが当たるようになったのか、そしてリーダーシップに基づく集団重視の傾向が教育や職場環境にどれほど影響しているのかを明らかにしていきます。さらにそれが行き過ぎたゆえの弊害について触れながら、終盤では内向型人間がいかにふるまい、またそうした人々を外部がどうサポートしていくべきかを紐解いていきます。

 私の印象に残ったのはやはり前半部分、つまりアメリカが近代化していく中でいかに外交的な人間という理想像がつくられていったかという部分でしたので、そこを中心にいくつか引用します。

私たちは、外向型の人間を理想とする価値観のなかで暮らしている。つまり、外向的でつねに先頭に立ちスポットライトを浴びてこそ快適でいられる、そんな自己を持つことが理想だと、多くの人が信じているのだ。
(P8)

現代社会では、もっとも重要な施設の多くは、集団での活動と高レベルの刺激を好む人々向けに設定されている。たとえば学校の机はグループ学習がしやすいように小集団に分けて並べられることが多くなっており、これは調査によれば、教師の大半が外向的な生徒こそ理想的だと考えているからだ。
(P11)

 近代になり、人間の内面とふるまいを表す「人格」という言葉に代わって「性格」という言葉が台頭するようになった点にも触れています。
 これは、規律や思慮深さよりも他者へのアピールが重視され、評価されるようになったことを表しています。

だが、「性格の文化」が広まると、アメリカ人は、他人が自分をどう見るかに注目するようになった。目立つ人やおもしろい人が人気を得るようになった。「新しい文化において必要とされた社会的な役割は、演技者としての役割だった。すべてのアメリカ人が自己を演技しなければならなくなった」とサスマンは書いた。
(P44)

気づいてみれば、誰もが、隣人たちとではなく、見知らぬ人たちと一緒に働いていた。「市民」は「雇用者」へと変化し、隣人や家族としてのつながりのない人々に、どうすれば好印象を与えられるかという問題に直面したのだ。
(P45)

自分が内気だと思っているアメリカ人は一九七〇年代には四〇%だったが、九〇年代には五〇%に増えた。おそらく、自己表現の標準がますます大胆になるなかで自分を評価するせいだろう。いまやアメリカ人の五人にひとりが社会不安障害―――要するに病的に内気―――だとされる。
(P61)

 要求される外向性、社交性のハードルがどんどん上がっていき、もはや何が正常で何が異常なのかわからないかのような様相です。
 私なんかが診断されたら最重度の末期患者になりそうです;-o-)

 もちろん当のアメリカ人も疑問を感じることが多いようで、次のような指摘をする人もいます。

若い起業家から頻繁に売り込みを受けている成功したベンチャー投資家は、仕事仲間がプレゼンテーションのうまさと本物のリーダーシップとを見分けられないと嘆いていた。「すぐれた考えを持っているからではなく、しゃべるのがうまいおかげで専門家の地位にいる人がいるのです。しゃべる能力と才能は見分けがつきにくい。プレゼンテーションがうまく、社交的であれば、報われやすい。さて、それはなぜだろうか?確かに貴重な特質だとは思うけれど、われわれは外見に重きを置きすぎて、内容や批判的な考えをおろそかにしすぎている」とその投資家は語った。
(P91)

私たちは社交性に富んだリーダーが必要だと思い込み過ぎている。「企業で大きな決断は少人数の会議でなされたり、書類やビデオによるコミュニケーションを通じてされたりする。大集団の前ではなされない。だから万能である必要はないのだ。アナリストでいっぱいの会議室に入ってくるなり、恐怖で真っ青になって立ち去るようでは、さすがに企業のリーダーはつとまらない。だが、すべてを自分だけで背負う必要はないのだ。非常に内省的で人前に出るのを嫌うリーダーを、私はたくさん知っている」ミルズは語った。
(P93。ミルズはハーバード・ビジネス・スクールのクイン・ミルズ教授)

 意思決定の形自体は日本も海外もそう変わらないのかもしれませんが、どうしても「企業トップによる感動的なプレゼン」といったイメージに圧倒されてしまうんですね。
 ただ、聴衆が多いプレゼンほど独白に近いものになるので、ああいうのこそ内向型人間の所業という気はします。私も5人の現場を仕切れといわれるより100人の前で話せと言われる方が気分的には格段に楽です(話すだけなら何も決めなくていいからですが)。

 集団作業がむしろ個々人の創造性を阻害するという点については、例えば次のように指摘されています。

これ以後四〇年以上にもわたってさまざまな研究が続けられたが、結果はつねに同じだった。集団が大きくなるほどパフォーマンスは悪くなることが、研究から立証されているのだ。四人のグループよりも六人のグループのほうがアイデアは質・量ともに低下し、九人のグループではさらに低下する。「科学的な証拠からすると、集団でのブレインストーミングを採用するのは正気とは思えない。能力とやる気がある人々には、創造性と効率が最優先で求められる場合には単独作業をするよう勧めるべきだ」と、組織心理学者のエイドリアン・ファーンハムは書いている。
(P143)

 確かに;-o-)大勢になるほど無難な結論しか出せないのは私たちのやり方が悪いだけかと思ってましたけども、一般的な事実として立証されているようです。

 以下は、オンライン上の共同作業の成果としてリナックスやウィキペディアについて触れた後でのコメントです。

私たちはそうしたオンライン上のコラボレーションのパワーに驚嘆するあまり、あらゆる集団作業を過大評価して、個人による思考を軽視しているのではないだろうか。オンライン上で集団作業している人々はみな、それぞれに単独作業をしているのだという事実を、私たちは見逃してしまっている。
(P144)

私たちが進むべき道は、対面での共同作業をやめるのではなく、そのやり方を改良することだろう。ひとつには、個々人の強さや気質に応じてリーダーシップや他の職務が分けられるような、内向型と外向型との共生関係を積極的に追求すべきである。
(P151)

 かなり長い本ですので以降は割愛しますが、医学的な研究や実験のほかさまざまな経験談、社会的事件を満載しつつ、コミュニケーションや集団作業を過度に重視する職場や社会のあり方に見直しを迫る内容となっています。一方で内向型人間が留意すべき点や、内向型人間にどう接していくのかについてもページを割いていて、現実的な折り合いにも注意を払った内容となっています。
 日本でも、社交的なコミュニケーション強者になれない人間には居場所がない(なくなる)のではないか、という不安は次第に強まっているように思いますが、本書が示す事実を見逃すことなく、人間的なバランスを保っていってほしいと思います。