ポール・ファッセル「誰にも書けなかった戦争の現実」

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 少し時間ができましたので、この20年前に邦訳された30年前の本について触れてみます。

 これは、第二次世界大戦についての本です。しかし、戦争における戦略や戦術を論じたものではありません。文化と人間性の退廃、デマや噂、軍隊でのいじめ、日常の物資不足、英雄的な活躍とは程遠い戦闘の実相など、近代の戦争の姿をさまざまな面から描いています。

 私は、この本の邦訳にあたってタイトルに「真実」ではなく「現実」という言葉が選ばれたことはとても大事なポイントだと捉えています。
 というのも、戦争に関して「真実」を語る言説は昔から数多くみられますが、ほぼ必ずある種のバイアスが潜んでいます。それとは対照的に、本書では(勝者側である)連合国を中心として前線と銃後でみられた数多くの現象を丹念に取り上げ、まるで救いのない戦争の実情を明らかにしようとします。その姿勢が「現実」の一言に現れているからです。

 しかし、長い書評をやるつもりもありません。ちょっと引用の度が過ぎるかもしれませんが、印象に残っている記述をいくつか紹介していきます。



当初は誰もが、今回の戦争は機動力を生かした遠隔操作によって早々に片が付くものと楽観していたし、そう信じ込んでいた人も多かった。
(P12)

 いきなりですが、この記述には少々疑問がないでもありません。第一次大戦の記憶も生々しい中で、これほど希望的な観測が蔓延していたとも思えません。これは著者による、まさに「現代人への」警鐘なのではないかという気がします。

ドイツ軍のブリテン島進攻に備えてイギリス軍にゴム製の警棒が支給されていたのを初期の兵器とすれば、タイガー(ティーゲル)戦車になり「超空の要塞」B-29になり、V-2ロケットに、そしてエスカレートのあげく最終的には原子爆弾にまで行きつくことで、もし戦争に「主題」というものがあるのなら、その主題は完成させられたことになる。
(P20)

われわれは誰しも、はじめは楽観的なのだ。これは誰もが心理的に都合のいいことしか考えないからで、戦争の恐怖を予想し熟考しようとする者はいないし、戦争につきものの道徳や礼儀の崩壊について考える者もいない。
(P21)

スパイ、破壊工作、裏切りに関するうわさは時と場所を選ばず人びとに好まれる。戦争を面白くするからであり、また自分たちがなぜさっさと勝てないかを説明するものとなるからだ。
(P63)

 平常時や災害時のデマも鎮めるのに一苦労というのが実情です。しかし戦争におけるデマは比較になりません。あちこちのビッグブラザーが競って手を染めるわけですから。


 ジワジワ来る系のネタもあります;-o-)

アメリカ軍の中に広まった士気を挫くような噂で、明らかに枢軸国側工作員の仕組んだものに、マイクロフィルムで送られる本国宛ての戦時郵便を、国内の基地でスクリーンに映して皆で楽しんでいる、というものもあった。
(P73)

戦争は若者が頼りである。若者だけが、肉体的なスタミナと自らの死への鈍感さという、戦うのに必要な二つのものを持ち合わせているからだ。
(P81)

ともかくも戦争を遂行しようと思ったら、何しろ敵を非人格化し、貶めなければならないが、そのやり方は相手の国民性の類型によってさまざまだった。枢軸国の分類の仕方のひとつに、勇敢から臆病へとひとつのスケールに並べていくものがある。日本が勇敢の極に位置しイタリアが逆の根性なしの側、ドイツがその真ん中ということになるわけでが、これをそのままひっくり返せば動物的-人間的というスケールになる。日本人が一番凶暴な獣的資質をもち、逆に、音楽やアイスクリームや派手な服装を愛するイタリア人が最も人間的というわけだ。
(P177)

 なんか日本軍推しみたいにも見えますがもちろんそういうトーンではありません。戦争において各国がいかに敵の人間性から目を背けようとしたか、そして数々の残虐行為についてもとりあげています。


 イタリア軍について、次のような記述もあります。

連合軍側がひそかに、敵のすべてがこうであってほしいと願っているイメージ―――平和主義者で、めかし屋で感受性が強く、民度は高くイデオロギーに凝り固まらず、できれば道化であればなおよい―――のモデルとなったのだ。狂信的に凝り固まったナチスに対するアンチテーゼである。同時にイタリア人は無能と二枚舌と臆病の代名詞でもあった。もちろん誰もそうなりたいとは願わないのだが、しかしそうできればどんなに楽だろう。イタリアは世界の笑いものになりながら、殺されることを巧妙にのがれているのだった。連合軍の兵士たちは、もし軽蔑と嘲笑が生命の代価なら、それは支払う価値のある代価なのではないかと考えざるをえなかった。
(P189)

 私自身は大戦中のイタリア軍に対する評価には不当な部分が多いと感じてますが、そこには確かにこのような兵士たちの願望が大きく反映されているのかもしれません。

一九四〇年、今回の戦争に対する感想を聞かれてE・M・フォースターはこう答えている。「負けたいとは思わないが、輝かしい大勝利など期待していないし『新しい世界を造る』というような考えに加担する気もない。こうした理想は一生に一度は信じ込むことはできても、二度は無理だ」。これはほとんどすべての人間の意見を代弁するものだったろう。自己犠牲の動機として愛国心というのがもう時代遅れであることは、あるカナダ軍兵士も感じていたとおりだった。「今さら誰が王様やお国のために死ぬもんか。そんなたわごとは第一次世界大戦で終わったのさ」。
(P201)

ファシズム側の熱狂とはついに噛み合うことがなく、しかし戦いは総力戦へと拡大し長期化することとなります。後でも見るように戦いの動機づけというのが戦争運営の重要な課題となっていくわけです。

第二次世界大戦のテクノロジーはまた、人がほぼ沈黙のうちに―――少なくとも表面上は―――殺されるということを可能にした。戦車戦で、遠く離れた味方の戦車が徹甲弾にやられたというときも、無線を通して聞こえてくるのは小さな「カチッ」という音だけである。
(P209)

五十年たった今、「良い戦争」や正当な戦争、必要な戦争といったことがずいぶん言われ、戦争を知らぬ若い世代に、戦争とはそれほど悪いものではないのではないかという印象を与えている。そういう時だからこそ、これは戦争以外の何物でもなかった、戦争だからそれは愚行であり加虐であるということをはっきりしておく必要があると思う。
(P219)

 本書の記述は全体的に冷静で、ときにはシニカルなトーンもみられますが、その中でも戦争への認識に対するストレートな提言となっています。

これといって大義名分となるようなイデオロギーもないため、戦争を続行させる動機づけがつねに問題となった。その結果、士気を高め、維持することがきわめて重要となり第二次世界大戦では士気そのものが連合軍の悩みの種となるという特異な事態となった。
(P221)

グラフトンはグラスゴー出身のある兵士の言葉を紹介している。「もしもチャーチルが、血と汗と涙とか何とかでなく、『軍隊にいる男でも女でも、すぐやめて国に帰りたいものは帰ってもいいぞ』と放送したら、マイクから離れる間もなく人の波にもまれて踏みつぶされちまっただろうよ」
(P232)

兵士たちは常に、破壊的・侮蔑的な言葉を使ったが、その原因となったのは戦争のどの側面だったのか。危険や恐怖、退屈、不安、孤独、不自由などということもある。が、それよりむしろ、楽観的な宣伝と婉曲語法のせいで自分たちの体験が完全に歪められてしまい、それが正しく伝えられないことに絶望感を覚えた、という面のほうが強いのである。
(P417)

 勇敢に戦った各国の兵士には敬意を表すべきと思いますが、それとて相思相愛にはならない、ということかもしれません。

シェークスピアやゴヤの時代のように、戦闘が剣やサーベルといった刃物中心に行われていた時のほうが身体の切断が多く起きたと考えるのは間違いである。刀による損傷など、爆弾や機関銃、砲爆の破片、その他高性能爆薬には及びもつかないものだ。十九世紀までの戦争描写と、二十世紀に入ってからのそれとの違いは軍事技術の違いではない。それは現実のとらえ方の違いである。とくに、口当たりの良いものばかりほしがる大衆が、不快な事実に直面できないという問題なのだ。
(P420)

前線の兵士が弾丸や砲弾の破片に当たって負傷するということは一般にも想像は難くない。が、まさか、四散した味方の身体の一部に当たって負傷したり死亡したりしようとは思いもよらない。それほど大衆は現実を知らされていないのだ。何にやられたのかと負傷兵に尋ねたとき、返ってくる答えが、「相棒の首」とか軍曹の手足、あるいは靴をはきゲートルを巻いた日本兵の脚、ウエストポイントの卒業記念指輪をつけた大尉の手、などというものであるとは誰も予想しないのだ。兵士たちの怒りをかり立てるのは、銃後も、後方も、何万回となくくり返されるこの体験についてまったく知らず、いい気なものだという思いであった。
(P421)

 余談ですがプライベートライアンの戦闘シーンがリアルだとかショッキングだとかで話題になったことがありました。確かに映像表現としては進歩しましたが、あれが実際の戦争のようにリアルなのかというとやはり全く別物です。敵味方を問わず人間が肉片となり四散していく様を再現していたらとても視聴には耐えられません。作品という枠組みの中で再現できるようなものではないのであります。

 さて、声高に戦争反対と叫ぶような本ではないのですが、それが人命、経済的損失だけでなく人間と社会にどれほど回復しがたいダメージを与えるのかという「現実」を認識させ、警鐘を鳴らす内容となっています。
 第二次世界大戦関連の本といえば「失敗の本質」が有名です。あれも組織論というかサラリーマンのストレス解消本みたいなものとして大変面白いのですが、個人として、生活者として知るべき戦争の姿についてはこちらの方がはるかに詳しく描かれています。
 実はそんなに暗い内容ではなく、ユーモアや豆知識も満載なのでおすすめです。