「追い抜かす」「追い抜かされる」という表現をよく見るようになりました

 このところ香港返還20周年関連のニュースが相次ぎました結果、「香港返還」というフレーズが頭から離れないのであります。ホンコンヘンカン。語呂が良すぎますね。酒飲んでろれつが回らなくなってもスラスラ出てくるのでやめられません。高速増殖炉なんかとは大違いなのです。英字表記だとHongKongHengKangですね。いいんでしょうか。


 さて本題です。
 「追い抜く」「追い抜かれる」ことを「追い抜かす」「追い抜かされる」と表現する例をよく見るようになりました。テレビでも急増したように思われ(あまり見ない方なので具体的な比較が難しいですが)、比較的表現が手堅いNHKでも用いられているようです。
 やはり指摘はあるらしく、これらに関する次のような記事もあります(NHK放送文化研究所)。

www.nhk.or.jp

 正誤の問題ではなく、どちらも用いるものとしてそのニュアンスの違いを論じる内容となっています。
 また、アンケート結果によると、若い世代ほど「追い抜かす」を使う傾向にあり、60代以上でも3割以上の人が「追い抜かす」という言葉を使うとのことです。ウェブアンケートの信頼性というのがよくわかりませんが、この結果だけを見れば若年層に限らず相当定着しているといってよさそうです。

 私自身は使役・受動との区別がつかないように思うので「追い抜かす」「追い抜かされる」は使いません。とはいえ批判的なわけでもなく、記事のタイトル通り「昔は見なかったけど最近よく見るようになった」という印象を持っているだけです。「ありえない」などと煽るつもりはまったくありません。訴えたいことがないんです。というより、言葉は多数決、正誤よりその場できちんと通じているかどうか、そして広まってきた以上は慣れるのみというスタンスなのであります。