水木しげる「総員玉砕せよ!」

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 2015年に亡くなった国民的漫画家、水木しげる氏が自らの戦争体験をもとにして描いた戦記物マンガの傑作です。日本本土からはるかに離れた南洋のニューブリテン島、その中心拠点ラバウルから少し離れた小さな拠点であるバイエンに置かれた兵士たちの日常と、彼らを最後に待ち受ける過酷な運命が描かれます。
 はじめにですが、作中にセントジョージ岬という地名が現れるため隣のニューイングランド島が舞台になっているように思われるかもしれません。しかし、本作でのセントジョージ岬はラバウルと同じニューブリテン島にあります。序盤で日本軍の舟艇による上陸シーンがあるものの、これはニューブリテン島のココボから出発して同島のやや南部にあるバイエンに上陸したもの、ということになります。このバイエンという地名も実際のズンゲンという場所にあたるそうです。

私はなんでこのような つらいつとめをせにゃならぬ
(P18)

 さて、本作のテーマソングともいえる「女郎の歌」の斉唱ののちココボを離れてバイエンに上陸した支隊ですが、そこには連合軍の姿もなくしばらくは穏やかな日が続きます。それでも日常的に繰り返される上官のビンタ、そして陣地構築中のケガや事故により相次ぐ死者など、絵のタッチこそゆるやかですが常に暴力と危険にさらされる軍隊の姿が描かれます。

戦争さえなければ平和なところですなあ
(P68)

 その後、空襲や小規模な陸上戦闘が相次ぎ、次第に連合軍の圧力は高まってゆきますが、兵士たちは持ち前の明るさを失いません。上官の理不尽なビンタが絶えることはないものの、まだすべての兵士が人間味のある存在として描かれています。

 しかし、ついに連合軍の部隊が上陸を開始し、情勢は一気に緊迫。戦力で劣る支隊が次第に包囲され大きな損害を受ける中で、支隊長の田所大佐は潔い玉砕を主張します。そしてゲリラ戦への転向を主張する部下と激しく対立しますが、結局は総突撃を決行します。
 この動きを知ったラバウルの司令部は、突撃は軽率とみて中止を求めようとするものの、たまたま連絡が取れなかったため、バイエン支隊はすでに玉砕したものと判断してラバウルの全軍と大本営に伝達します。これが悲劇のはじまりです。総突撃した部隊の一部は目的を達することができずに生き残って後退するのですが、司令部は既に玉砕を公表しており、さらにラバウルに残る大部隊の引き締めを図ろうとしてこれを利用していたのです。こうしてバイエン支隊はもはや生き残ってはならない存在となってしまったのです。

 もちろん、そんな事情を抜きにしても玉砕命令とともに総突撃した兵士が前線を離脱するというのは重大な軍紀違反とされており、兵士たちは次第に後悔と絶望に包まれます。

(北崎少尉)生きながらえてみたところで……
(山岸少尉)こんなに苦しいものならいっそあの時……
(軍医中尉)生きながらえたところでといいますけどね
人生ってそんなもんじゃないですか
つかの間からつかの間へ渡る光みたいなもんですよ
(P270-271)


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2人の少尉は海を前にして
自らの運命を受け入れていく

 支隊の兵士たちを救うべく、1人の心ある軍医が司令部に直訴をするのですが全く取り合ってもらえません。軍医は抗議の自決を遂げ、2人の少尉もしばらくの逡巡ののち、自決を決意することとなります。
 2人の少尉が最後に渡されたタバコを吸うシーンも胸に迫るものがありますが、彼らが覚悟を定め、ついに死を遂げるまで浜辺でひたすら繰り返される波のシーンとがとても印象的です―――なぜこの平和な島で人間だけが戦い、自分に死が突きつけられるのか―――やむことのない波を見つめながら、彼らはきっとそう思ったはずです。


 そして昭和20年6月、連合軍はセントジョージ岬に上陸を開始。敵味方の双方にとって抹殺すべき存在でしかない兵士たちに、もはや生きる望みはありません。最後に再び「女郎の歌」を歌い夜襲を敢行するものの、圧倒的な砲火を真正面から受けて彼らはバラバラに四散します。悲惨としか言いようのないシーンではありますが、これこそ彼らに期待された華々しい玉砕であって、司令部がこのような光景を知ったところでむしろ大喜びしたことでしょう。そこがなんともやりきれない気持ちにさせられます。
 しかし、物語はそのままでは終わりません。最後の最後、ただ1人生き残った丸山―――作者水木の分身―――は、仲間たちの死体が転がる明け方の浜辺をさまよいます。顔は焼けただれ、すっかり狂人と化した丸山を発見したアメリカ兵はこれを銃撃。丸山はうめき声をあげてその場にうずくまります。

ああ みんなこんな気持で死んでいったんだなあ
誰にみられることもなく 誰に語ることもできず……ただわすれ去られるだけ……
(P350)

 前夜の突撃とは全く対照的で、まるで絵にならない孤独な死に様です。しかし、死んでいった仲間に対する水木氏の思いと、戦争に対する反骨といいますか執念のようなものが、この描写に集約されているように思います。


 さて、最終的に部隊は全滅、しかしそれは戦略的にも大した意味のない、小競り合いの中の捨て石でしかなかった、という悲しいお話です。ラストもいささかショッキングですので心が弱っているときに読むのはおすすめできませんが「水木しげる=妖怪マンガ」という世のイメージを一変させる力のある作品です。支隊の兵士たちのように飄々と抜け目なく生きているつもりでも、いざとなったときにはもう何一つ身動きできなくなっていてただ圧倒的な破壊と暴力にさらされるだけ、という姿は前線のリアリティであると同時に、世に戦争がしのびよる姿を暗示していて興味深いところであります。