サイレンススズカの思い出

 9月になり秋競馬がスタートしました。この時期になると思い出すのが20世紀末の名馬、サイレンススズカです。
 奇しくもアイルトンセナの事故死とほぼ同時にこの世に生を受け、同じカナリアカラーを纏い日本のターフを席捲。そして悲運の結末までも同じ道をたどった、まさに音速の貴公子…
 といえばカッコいいんですけど3歳(旧4歳)のころは一介の逃げ馬といった雰囲気でしたかね;-o-)デビューで楽勝したあたりは「遅れてきたサンデーの本命」といった見方もされましたが、弥生賞ではゲートをくぐろうとする事件を起こして発走前からもう負け確定。番組中に大川慶次郎氏が「コイツはいずれデカいところを取る」的な発言をしていたのは覚えていますがその後もレースぶりが不安定すぎましたし、秋以降もマイルCS~香港国際カップあたりは出走内容もちぐはぐで大した成績も残せず、このままそこそこの馬で終わってしまうのかと思いました。
 しかし翌年緒戦のバレンタインステークスで圧勝。このレースの勝ちっぷりを見て競馬界隈は「これはもしかして…」という雰囲気になったように思います。その後もサイレンススズカは中山記念、小倉大賞典を連勝し、一躍中距離路線の主役に躍り出ます。
 そして充実期を迎えたサイレンススズカの走りは想像を超えるものとなっていました。逃げ馬は気性や馬群での折り合いに問題がある場合が多く、成績もムラがあるのが常でしたが、サイレンススズカの走りはまるで違いました。ゲートの出が天才的に早く、あとは普通に快走しているだけで誰もついてこれないのです。
 スポーツにはたまに「自分が歴史の目撃者になった」と思わせるシーンがあります。私の世代だと野茂のMLBオールスター先発とか、最近は錦織の全米オープン決勝あたりでしょうか。昨日の大坂の全米オープン優勝もそうだと思います。4歳のサイレンススズカの走りもまさにそうでした。一般にも注目を浴び始めたの金鯱賞以降のレースは「またやってくれるんか」という期待感と緊迫感があり、毎回正座して見ていたほどです;-o-)
 そしてベストレースはやはり毎日王冠だと思います。エルコンドルパサーとグラスワンダーとの三強対決となったことにより観客が13万人集まったという空前絶後のGⅡで、いまだに日本競馬史上最高のレースだと思います。コーナーで息を入れつつ直線で再度突き放す走りは何度見直してもカッコ良すぎるのであります。あのときの秋の日差しは彼のサラブレッドとしての完成を感じさせるとともに、今見ればその後の運命を予兆していたようにも思えてなりません。


 そして大目標に据えた秋の天皇賞、サイレンススズカは圧倒的一番人気に推されるもののレース中に前脚を骨折し突如失速、悲運の事故死を遂げます。このときはさすがに寝込みました;´A`)もう競馬に見るべきものはないとまで思ったものです。
 そして一戦だけのライバルとなったエルコンドルパサーはその年のジャパンカップを圧勝し、翌年には凱旋門賞に挑戦しますが惜しくも2着。同レースを最後に種牡馬入りするものの、3世代を残して早すぎる死を迎えます。
 あれほどの天才たちが最後の勝利をつかめず若くして世を去ってしまったというのが当時は残念でなりませんでしたが、今では逆に自分がダラダラと歳を食ってしまったと気付くに至り;´A`)まるでよくできた物語のように受け入れられるようになりました。

 ところでサイレンススズカはなんといってもかわいい馬でした。サラブレッドといいますと精悍な顔つきがイメージされますが、ホンマにこれが一流馬かいなと思わせるほどかわいらしい馬で、そこも多くのファンに愛された要因かと思います。
 一度は北海道にお墓参りに行こうかなと思いつつ、日程の都合もあってなかなか行けないでいます。こないだの大きな地震があってまたちょっと難しくなりましたが、無事復旧した暁には必ず行きたいと思います。