何でも日本語に還元しようとするのはつまづきの元

 宗教論争みたいなのに関わるつもりはありませんが、例の掛け算順序の問題になると必ず「算数には日本語の要素もある」みたいな言説が出てきます。
 使い慣れた言葉に沿って説明できるというのは共通理解を図るうえでも心強いですし、各教科はバラバラなのではなくどこかでつながっているという捉え方も悪くはないと思います。
 しかしそれが行き過ぎて、何でも日本語に落とし込めないとダメなどと考えだすとどこかで理解の限界に直面します。特に無限を扱うようになると日本語でどうこうするにも限度があって、だからこそ数学という道具立てが必要なわけです。ついでに言えば外国語なんかもそうで、何でも日本語と対応付けしようとしてもやはり無理が生じます。小中学校あたりで順調に学習をこなせていてもその辺りが見えておらず、理解の軸足をいつまでも日本語から移せないことが高等教育でつまずく要因になっているように思います。